しかし簡単なことではありませんね。

そうですね。でも実は決められている
「型」というのはそんなに
複雑なものではないんですよ。
けれどもそれに含まれている要素が
非常に複雑なんですね。
書にしても画数の多い字は比較的簡単で、
画数の少ない字のほうが難しいといわれています。
それはその中に含まれている要素がたくさんあり、
しかも誤魔化しが利かないということなんですね。
私なんてもう50年以上も居合をやっていて、人からは
「50年もやるほどのものがあるんですか」と
言われたりもするのですが、でも50年やればやるほど
やることがたくさんでてくるというものなんですね。
しかしながら、その難しさとともに楽しさもありまして、
「難しい難しい」と思いながらも刀を振りたくて
仕方なくなりますからね。
柳生新陰流の極意に「昨日の我に今日は勝つべし」
というのがありまして、私も常にその気持ちでいますね。
もちろん若い時というのはパワーもありますし、
このごろは腰が痛かったり腕が痛かったり、
その「昨日」に負けないというのは並大抵の
ことではありませんね。しかし、それを補うための
技であったり、簡素化され無駄を省いたもの
を身につけることでそれは可能な訳でして、
もちろん、居合自体は敵に勝つために
生まれたものではありますが、
稽古を重ねるということは常に自分に
勝つためにやっていることなんですね。


先生は、ほかにも職業をお持ちで、大変ご多忙とは
思いますが、道場自体を職業にされる気はないのですか?

ひとつには、武道というものが、お金に
換えられないものということがありますね。
もちろん、プロの武道家として生きていければ、
それに越したものはないんですよ。
しかし悲しいかなそれほどの造詣というか、
力量が私にはまだ備わってないんでしょうね。
やはり居合というのは理解しがたいもので、
剣道の様に勝ち負けがあって、単純に
やれば楽しいというものではありませんし。
しかし、深くやっていけば自分の中に
生まれてくる楽しいものはあるんですよ。
本当は居合は歳をとっても出来るし、
男女子供でも出来るし、一人でもできますから
いいところはたくさんあるんですけどね。